第47回~自分を動かしているプログラム
他人をよく見ているとわかってくることがあります。
その人が言っていることと実際の行動が違うことが多々あるということ。
けして嘘をついたり悪気があるわけではない場合でも人は発言と行動がまるで違う場合の方が多いという事実。
もちろんそれは自分自身にも当てはまるでしょう。
本心からそう思っていたはずなのに実際には違う行動をしてしまっている自分がいます。
何故でしょうか?
それは人は頭の思考ではなく無意識下のプログラムによって動いているからです。
食べ過ぎてはいけない、と言いながら食べ過ぎてしまう自分がいます。
食事法の本や少食の本をいくら読んでもその通りにできない自分がいます。
できるのは最初だけ。
数日すれば元通りに食べ過ぎを続ける自分がいます。
それは「食べる」という行為を作り出している無意識下のプログラムが変わっていないからです。
頭からすると食べ過ぎてしまうという行為を当たり前のように続けてゆくプログラムがセットされているからです。
目標を持って頑張ろうと一念発起する自分がいます。
今度こそ変わりたいから生まれ変わったつもりでやってみようという自分がいます。
ところがしばらくすると邪魔くさくなってしまう自分がいます。
いつの間にか決心も忘れてやっぱり無理なんだと自分を納得させている自分がいます。
無意識下のプログラムが邪魔をしているからです。
それが新しい自分の行動にブレーキをかけて慣れ親しんだいつもの行動パターンへと引き戻します。
人は無意識にある設定に従って反応的に行動します。
反復的に行動を繰り返します。
それを無意識にセットされたプログラムと呼びます。
そのプログラムを変えないままにいくら頭がああしようこうしようと考えてみても、
いつの間にか元の反復行動に戻ります。
その人がある出来事に対してどんな感情を抱くのかさえプログラムによって自動反応します。
自分の気分は目の前の人のせいだと思っているかもしれませんがそれも反応的に作られた気分かもしれません。
だからある人は何が起きても起きなくても不安になります。
ある人は何が起きても起きなくても幸せに感じるかもしれません。
それぞれがそれぞれのパターン的反応を繰り返しがちです。
そしてそれが個性のように性格のように思えます。
しかしそれは本当はプログラムです。
その人独自の反応パターンを創り出しているプログラムのせいです。
このことに気づかないうちは自由にふるまうことが出来ません。
出来事に対して自由に可能性を選択することが出来ません。
新しい自分に変わるということは、
古いプログラムを新しく書き換えるということです。
反復的、自動的に行われてきた無意識の自分から主導権を取り戻すということです。
プログラムとは気づかないままに自分が作り上げた設定です。
それが習慣でありクセです。
性格だからしょうがないと言う人がいますが、それさえも幼少期からの無意識設定に過ぎません。
瞑想するといい、内観することがいい、よくそんなふうに言われます。
しかし何を見つめ直すのかが不明瞭なまま続けても非効率だとは思いませんか?
見つめ直すべきは無意識内であってそこに在り続けていながら自動的に反応、感情、行為を創り出しているプログラムです。
そしてそれをリセットすることこそが新しい自分への最短の道です。
人は変われます。
なぜならそれはプログラムだからです。
それが気に入らないなら、仕組みを知ることで自由に設定は変えられます。